夫婦関係改善

「自分を大切にする」と「ワガママ」の境界線

自分を大切にするとわがままの違い
なかのちはる
なかのちはる
「自分を大切にする」ことって「ワガママ」なだけじゃないの?と思っていたわたし。
おかげでなかなか「自分を大切にする」ことができませんでした。
同じように感じている方は、ぜひ読んでください。
あなたの周りが「あなたを大切にする」世界にカンタンに変わります。

「自分を大切にする」と「ワガママ」の違い

「自分を大切にすれば、周りからも大切にされる。」というよく聞く一文。
わたし自身、量子論を学び、自分を大切にすると決め、実践することで驚くような変化がありました。

「あんなに『大切にされたい、愛されたい』と頑張っていたのに、自分を大切にすればこんなにもカンタンに叶うものだったのね」と拍子抜けしました。

でも、「自分を大切にする」ことを始めた頃は、とても怖かったし難しかったのです。

「自分を大切にする」ことと「ワガママ」の違いが判らなかったんですね。
どこまでが「自分を大切にする」ことでどこからが「ワガママ」なのか。

その違いって、一つだけ。
「他人をコントロールしてしまうこと、しようとすること」です。

もっと詳しく言うと、意図的か意図的じゃないかの差。
自分を大切にした結果、他人が動いてくれることもある。
始めから他人を動かそうとしてるかしていないかが「ワガママ」かどうかの差なのだろうと思います。

「自分を大切にする」状態を量子論的に見てみる

「自分を大切にする」ことと「ワガママ」は、量子論的にみてみるとその違いがシンプルでわかりやすいのです。
その違いを意識できると、「自分を大切にする」ことが感覚的に理解できるはずです。

「自分を大切にする」ときのエネルギーの流れ

「自分を大切」にしているとき、エネルギーは完全に自分の内側に向かっています。
自分の感覚を感じていなければ、自分を大切にすることはできないからです。

究極にシンプルな「自分を大切にする方法」は、

・自分にやりたいことを思い切りやらせてあげる
・自分がやりたくないことは絶対にやらせない

この2つだけ。
これは、自分だけの感覚です。
例えば、料理が大好きな人にとって、料理はとても”やりたいこと”だけど、料理が嫌いな人にとっては、料理はとても”やりたくないこと”になりますよね。

自分のやりたいことやりたくないことを知るためには、自分の感覚に敏感にならなければわかりません。
自分の感覚に敏感になるということは、自分の潜在意識に語りかけることでもあります。

自分の意識が内側に向かっていないと「自分を大切にする」ことはできないのです。

「自分を大切にする」ときの波動は「愛」

当然のことですが、「自分を大切にする」ときの波動は「愛」そのものです。
自分を愛しているからこそ、大切にしたいと思うのですから。

反対に、「ワガママ」の波動は、他人をコントロールしようとするもの。
その根源的な思いって、「無価値観」なのではないかと感じます。

自分では自分をしあわせにできない。
あなたの方が変わって。
あなたがわたしにしあわせを与えて。

無意識だとは思いますが、波動として発せられているものはとても重い波動なのです。

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「自分を大切にする」と周りからも大切にされる量子論的仕組み

「自分を大切にする」ということは、自分の在り方が「愛」になること。
自分の在り方が「愛」なら、発する周波数は「愛」になります。
「引き寄せの法則」は、”自分の発する周波数に似たものが引き寄せられる”というもの。
自分の発する周波数が「愛」なら、周りに映し出される世界も「愛」に溢れたものになるのです。

「自分を大切にすると、周りからも大切にされる」
この仕組みは、美しいほどシンプルなものなのです。

「自分を大切にする」ことが出来ない2つの理由

「自分を大切にする」ことと「ワガママ」の違いが分からないということは、それまで「他者優先」で生きてきた証。

わたし自身、「他者優先」にしているなんて意識すらしていなかったけれど、今振り返ると物心ついたころからずっと「他者優先」で生きてきました。

そんなわたしが、いきなり「自分を大切にする」ことを始めるのは、とても難しいものでした。

その原因はたった2つ。
原因さえ分かれば、対応策も分かりますね。

理由その1、最大の敵は「罪悪感」

他者優先で生きてきたわたしが、自分最優先にするとき課題になったのが「罪悪感」でした。

「わたしばかり、いい思いをしていいのだろうか」
「自分さえよければいいなんて、大人としてどうだろう」
「他人に我慢させるなら、自分が我慢した方が楽」

みたいな思いがありました。
(いま考えると「おえ~~っ」となります…)

この「罪悪感」と向き合うことがわたしには手強かったです。
そんなとき出会ったのが、あるワークでした。

そのワークを通して、もし自分が大切に思っている人が自分を大切にしていなかったとしたら、とても悲しいことだとわかったのです。

自分から自分を見る視点を少しだけ上げてみてください。

自分のとても大切な人が、「わたしは大丈夫だから」「わたしなんてあとでいいんです」なんて言っていたら、あなたはどう感じますか?
自分のとても大切な人に、どんな人生を送って欲しいですか?
自分のとても大切な人に、あなたは何をしてあげたいでしょうか?

それをそのまま、自分に置き換えてみてください。
「罪悪感」なんて感じてる場合じゃない!と思いませんか?

むしろ「自分を大切にしない」方が、今のわたしには大きな罪悪感に感じます。

理由その2、「嫌われる勇氣」が持てない

「ワガママ」だと思われたくないのは、「嫌われたくない」という思いからくるもの。
「嫌われるくらいなら我慢する」クセがついてしまっているんです。

「嫌われたくない」という思いは、量子論的に見ると「自己卑下」なんですね。
あるがままの自分では、嫌われてしまうという思い込みが潜在的にあるのです。
また「嫌われたくない」という思いは、恐れでもあります。

「嫌われたくない」という感情は、とても波動が重いんです。

わたしは「嫌われたくない」という思いを手放すために、「嫌われる勇気」をはじめとするアドラー心理学の本を読みました。
アドラー心理学は、量子論と共通している考え方が多く、「嫌われたくない」という恐れが緩みました。
特に印象深い部分を抜粋しますね。

青年信頼の対義語?……ええ、と。
哲人懐疑です。仮にあなたが、対人関係の基礎に「懐疑」を置いていたとしましょう。他者を疑い、友人を疑い、家族や恋人までも疑いながら生きている、と。
いったいそこから、どんな関係が生まれるでしょうか?あなたが疑いの目を向けていることは、相手も瞬時に察知します。「この人はわたしのことを信頼していない」と、直感的に理解します。そこからなにかしらの前向きな関係が築けると思いますか?われわれは無条件の信頼を置くからこそ、深い関係が築けるのです。

「嫌われる勇気」 岸見一郎、古賀史健 著

本を読んで、わたしが「嫌われたくない」と感じていることは、相手を信頼していないことなのだと腑に落ちたとき、「嫌われたくない」という恐れを手放すことができました。

アドラー心理学には、『「いま、ここ」を真剣に生きる』、という章があります。
その考え方は、まさに量子論的。
「嫌われる勇気」が持てないと感じた方は、ぜひ読んでみてください。

他人を大切にできるのは、自分を大切にしている人だけ

「自分を大切にする」と、世界は変わります。
こんなにも世界は優しいものだったのかと、わたしは感動しました。

だからこそ、もっともっと「自分を大切にする」人が増えて欲しいと考えています。
「自分を大切にする」人が増えれば、社会そのものが変わるからです。

「他人を大切にする」ことができるのは、自分を大切にしている人だけです。
自分にできないことを他人にはすることはできません。

「自分を大切にする」人の波動は、周りにも必ず伝わっていきます。

最初「自分を大切にする」から始まった思いは、「自分を大切にする」人を増やし、「他人を大切にする」ことが当たり前になる社会を創ります。

わたしがセッションで「自分を大切にする」ことに重きを置いているのも、そんな社会の中で生きていきたいからです。

「自分を大切にする」方法がわからないという方やうまくできないという方は、ぜひセッションにお越しください。
あなたの世界も必ずカンタンに、とても優しいものに変容します。

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