でも、残念ながら(というべきかはわかりませんが)ゆるすことと不倫が終わること、再構築できることはイコールではありません。
というお話です。
ゆるせてるけどモヤモヤする理由
時々、
「夫の過去はゆるせてます。
不倫したことをぶり返しても仕方がないし、今更何を言っても変わらないと分かってますし。
でも、ゆるせてるのに現実は変わらないです。
なぜですか?」
というご質問をいただきます。
つまり「夫の不倫をゆるせてるのに、不倫が終わらないのはなぜ?」と思っているのです。
本当にゆるせているのかを見極めよう
上記のような疑問を持っている人の矛盾的をお伝えしますね。
もし、本当にゆるせているとしたら「夫の不倫が終わらない」ことは氣にならないはずではないでしょうか?
例えば「いつも時間に遅れてくる人」がいます。
その人のことをゆるせているのだとして、その人が時間に遅れてきたとしたら氣になりますか?
そういう人なのだから、そこまで氣にならないのではないでしょうか。
沖縄の人をイメージするとわかりやすいかもしれません。
彼ら彼女らは待ち合わせに遅れることをゆるしているからこそ、遅れることにモヤモヤしないのです。
わたしが思うに「夫の不倫をゆるせてるのに、不倫が終わらないのはなぜ?」と思っている人は、不倫を終わらせるためにゆるしているのです。
この時の前提の意識は「不倫は終わらない」になっているので、この状態でゆるしたところで望む現実は現れないのです。
じゃあ、夫の不倫をゆるさなければ不倫は終わるの?
さて、不倫をされたことをゆるせなくて苦しむ人がいるということは、簡単にゆるせる人もいるということになります。
この世界は「陰陽」で成り立っているので、「絶対にゆるせない人」がいるということは「ゆるせないという感覚すらない人」がいるんです。
わたしのお客さまの中にも、ほとんど苦しむことなくゆるせる方はいます。
体感としては少ないですが、珍しいというほど少なくないです。
ゆるせなくて悶絶してきたわたしからしたら、驚きなんですが(笑)
とはいえ、そんな「ゆるせる人」でもゆるせたからといって夫の不倫が終わるかというと、話は別です。
ゆるしていても不倫が終わらないことは往々にしてあります。
なぜなら、ゆるすことと自分が嫌なことを受け容れることは違うからです。
夫の不倫をゆるすことと不倫を受け入れることは別の課題
例えば、相手に叩かれた。叩かれたことはゆるした。
ゆるしたからといって、次も叩かれることを受け容れるのか?
受け容れませんよね。
だって、嫌ですから。
これが不倫をゆるしても、不倫が終わらない仕組みです。
至って、シンプル。
ゆるせたって、嫌なものは嫌。
そうなんです。
夫の不倫をゆるすことと不倫を続ける夫をゆるすことは全く違うことなんですね。
夫の不倫を終わらせることが解決策ではない
夫の不倫に向き合う時、絶対に忘れてはいけないことが「不倫さえ終われば問題解決」と考えることです。
不倫が終わるのは、あくまで「安心して生きる」目的のための手段に他なりません。
実際に、不倫をされている時も苦しいですが、不倫が終わったのに苦しい…という状態の方が地味にじんわり苦しいとわたし自身は感じています。
結局のところ「自分に嫌な思いをさせない!」と覚悟を決めるから、不倫が終わる現実を作れるし、幸せな現実を作ることができるのです。
夫の不倫をゆるすのは自分が快適に生きるため
ゆるそうがゆるさまいが自分を大切にすることを徹底しなければ、不倫の課題は終わりません。
違う見方をすると、自分を大切にすれば、ゆるすとかゆるさないは課題ではなくなるのです。
やっぱり「ゆるす」対象は夫ではなく、夫をゆるす自分をゆるすかどうか、なんですね。
もし、あなたが「ゆるす」ことで躓いているとしたら、一旦保留にして自分の「快」に集中してみるとよいですよ。