そこで!15年間サレ妻から抜け出せなかった仲野がどうやって夫をゆるし、愛される現実を作ってきたのかをお伝えしていきます
絶望から始まる「夫婦再構築」
7年前の2014年、夫の最後の不倫が発覚した時、わたしは夫をボッコボコにしました。
(詳しくは、インスタグラムの投稿をご覧ください)
その時、わたしは絶望と共に、今まで体験したことのない「爽快感」を味わったんです。
「あー本当に何もなくなったんだな」
そう感じて、心地よさを感じました。
「もう、夫の不倫に苦しまなくていいんだ」
「わたしは自由になった!」
そう実感したんです。
絶望することは、言い換えれば「すべて失った状態」だとわたしは考えています。
もう失うものは、何もない。
それは、エネルギー的に最強なんです。
「何もない=ゼロ」
ですから。
そうなんです。
宇宙の法則として”最強”なのは、”ゼロ”なのです。
わたしがあの日味わった「爽快感」は、まさにこの”ゼロ”でした。
絶望しているけれど、潜在意識ではわかっていたんです。
最強の状態になれたことを。
あなたは絶望したことがありますか?
その時、爽快感を味わったでしょうか?
ぜひ、ゆっくり振り返ってみてください。
陰陽図にあるように、陰には必ず陽があるはずなのです。
「ゆるす」とは、一体なんなのだろう?
お客様によく頂戴するのが、
「ちはるさんのご主人のように土下座して謝ってくれたら、ゆるせます」
というようなご意見。
確かに「誠意」を見せてくれたら、ゆるせるかもしれません。
が、果たして土下座は「誠意」でしょうか?
わたしは、そうは感じませんし、「誠意」があっても「ゆるせないものはゆるせない」と考えています。
(実際、夫が土下座したのは「わたし」にではなく「わたしの父」にです 笑)
例えば、大切な人を殺されたとして、土下座して「誠意」を見せられたらゆるせるでしょうか?
ほとんどの人間が「No」と答えるはずです。
つまり、ゆるすかどうかは、相手の言動は関係ないということです。
結局のところ、ゆるすかどうかは、自分が「ゆるす」と決めるかどうか。
これしかないんです。
「ゆるす」前には必ず「ゆるすと決める」必要がある
ここが理解できていないと多分、一生夫をゆるすことはできません。
なぜなら、決めなければ「ゆるす」という現実は現れないからです。
時間が経てば、気にはならなくなるかもしれませんが、ゆるせたわけではないのです。
では、「ゆるす」とはどういう状態だと考えますか?
また、もし今あなたが「ゆるせていない」としたら、何がどう、ゆるせないのでしょう?
ゆるすってなんでしょう。
ゆるすって、何なんだろう?
わたしはね、やはり「愛」だと考えます。
瀬戸内寂聴さんも「愛とはゆるすこと」と仰ってますが、本当にその通りです。
でも、「ゆるす=愛」をロジカルに説明している方ってほとんどいないです。
ということで、ゆるすことがなぜ、愛なのか?をロジカルにお伝えしていきます。
ちょっと長くなるけど、お付き合いください。
「ゆるす」ために乗り越える概念「分離」と「統合」
わたしたちは、大いなる源、ソース、空、などと表現されるところから魂、意識、という本質的であり、かつ見えないものを介してつながっています。
大いなる源ー意識ーカラダ
簡単に表現するなら、こういうことです。
このカラダという物体を意識で乗りこなしているのです。
ここで厄介なのが「分離」しているということなのね。
大元は一緒。いわゆるワンネス。
でも、実態は別れてる。分離してます。
自分が言ったことは、自分に言ってるのと同じ、といわれるのは大元は一緒だということを意味してます。
誰かに裏切られたり傷つけられて、相手にアクションをしても意味ないのも、この仕組みがあるからです。
けれど、実態であるカラダは分離しているし、わたしたちは「個」であることを楽しむために生まれてきているので、なかなか「みんな一緒」と捉えることができないんです。
結果、ゆるせない、という感情を持て余すのです。
それでもゆるしたいのであれば、意識を大いなる源に近づけるしかないんですね。大いなる源に近づくほど「みんな一緒」ということが理解できるから。
この大いなる源が「愛」なのです。
これが「ゆるす=愛」の仕組みというわけ。
ということは、いくら思考を使ってもゆるすことには限界があるんです。
「個」であるためのエゴを捨てずにはゆるすことはできないから。
同じ仕組みで説明できるのが、「信じる」ことです。
ゆるせれば信じられるのは、結局仕組みが同じだからなのです。
ゆるせると自己受容は深まる
「ゆるす=愛」について、「魂」という側面からだけ見ても、説明はできます。
魂というのは、不完全でありながら完全であるものです。
何ができてもできなくても、どんなに弱くても酷くても、オールOKです。
つまり、魂という本質で生きているなら、完全に自己受容できます。
自己受容ができていれば、他者をそのまま受け容れることができます。その状態は「ゆるせている」状態です。
「魂」の組成は、100%愛ですから、やはり「愛」であることでゆるすことができるわけです。
このとき、障害となるのがやっぱり「エゴ」や「理性」になります。
エゴや理性がなくなれば、簡単にゆるせるということなんです。
でも、エゴや理性を完全になくすことができないから人間なわけで。
エゴや理性がなかったら「自分らしく」なんて、あり得ないですからね。
自分らしく軽やかに楽しく生きている人とそうでない人の違いは、大なる源や愛の視点を持ちつつ、エゴや理性をコントロールして「個」を楽しめている人なのです。
(話がそれちゃいましたw)
結論。
ゆるすとは、愛。
愛とは、ゆるすことであり、信じることでもあります。
というわけで、質問があれば、コメントか公式LINE、メルマガにメッセージをください!
次の記事では「じゃあ実際にゆるすにはどうしたらいいのか?」についてもお届けしていきます。